Story
クスコから列車とバスを乗り継いで、さらに急勾配の山道を10分ほど歩くと、忽然と目の前に現れる石造りの遺跡。麓からは仰ぎ見ることのできない標高約2,280mにあるため、スペイン軍はその存在についに気づくことはありませんでした。1911年にアメリカの歴史学者ハイラム・ビンガムによって発見され、このインカの都市はようやく400年もの長い眠りから目覚めたと言われています。ウルバンバ川流域には貴重な生態系を有する密林が広がり、世界でも珍しい複合遺産の一つに数えられています。
マチュピチュの総面積は約5㎢。その約半分が山の斜面を利用した段々畑で、その西側は750人ほどが暮らしたとみられる居住区を含む市街地となっています。美しい曲線を描く太陽の神殿をはじめ、インカ独特の精巧な石積み技術は見応え十分。インティワタナ=日時計の真相はさておき、遺跡最高点からの眺望には誰もが感嘆のため息をもらすはず。山頂であるにもかかわらず、高度な利水システムが完備されていることも注目に値します。
多くの謎に包まれ、旅人のロマンをかき立てるマチュピチュ。通常の都市ではなく、王族の離宮であったという説が有力ですが、確たる証拠はありません。さらに、堅牢な神殿や住居をどのように建設したのか、そもそも材料となる巨石をどこから調達し、ここまでどうやって運んだのかも、ケチュア族が文字を持たなかったため、未だ解明されぬまま。雲海にそびえるインカの遺跡は、悠久の時を超えて私たちに何を語りかけているのでしょうか。
マチュピチュの総面積は約5㎢。その約半分が山の斜面を利用した段々畑で、その西側は750人ほどが暮らしたとみられる居住区を含む市街地となっています。美しい曲線を描く太陽の神殿をはじめ、インカ独特の精巧な石積み技術は見応え十分。インティワタナ=日時計の真相はさておき、遺跡最高点からの眺望には誰もが感嘆のため息をもらすはず。山頂であるにもかかわらず、高度な利水システムが完備されていることも注目に値します。
多くの謎に包まれ、旅人のロマンをかき立てるマチュピチュ。通常の都市ではなく、王族の離宮であったという説が有力ですが、確たる証拠はありません。さらに、堅牢な神殿や住居をどのように建設したのか、そもそも材料となる巨石をどこから調達し、ここまでどうやって運んだのかも、ケチュア族が文字を持たなかったため、未だ解明されぬまま。雲海にそびえるインカの遺跡は、悠久の時を超えて私たちに何を語りかけているのでしょうか。